思いやりの心と、優しい心 2018/11/26 昨日までの三連休、いいお天気に恵まれ暖かい行楽日和でしたね。お出かけするには恰好のお休みでした。ご家族でどこかに出かけられましたか?私は、普段布団干しが中々出来ないので、毎日布団を干し、ポカポカの布団で寝られる至福の時間を感じ、太陽に感謝の三連休でした。買い物に行くと、街は、クリスマス一色で、お店の中はクリスマスソングが流れ、売り場には、大きなツリー、クリスマス小物、オーナメント、イルミネーション、世間はすっかりクリスマスでした。子供達だけでなく、大人も、ワクワクする時期ですね。街中、キラキラ✨でした。私が住んでいる松田町も、子供の館(年長さんがお泊り保育でお世話になった場所)が一昨日からイルミネーションがライトアップされて、凄く綺麗です。東名高速松田インターが近づいたら、山の方を見てみて下さいね。 さて、今日は、秋の夜長に読んだノンフィクションの本から、一つの作品と、宮澤章二さんの、『行為の意味』を書かせていただきます。 サンタさんありがとう 私が父を亡くしたのは、小学校へ入学したばかりの春でした。オートバイで土手を走っていて歩いている人を避けようとして、ハンドルを誤りオートバイごと転げ落ちてしまいました。お酒を飲んでいたのです。そして、不運にも相手の方をも、巻き込んでしまったのです。父も相手の方も瀕死の重傷を負い、父は三日後に亡くなりました。相手の方が何とか助かったのがせめてもの救いでした。 一家の大黒柱を亡くした我が家は幸せの絶頂から奈落の底へと落ちていきました。耳の不自由な祖母は、何かの役に立とうと腰を二つに折りながら、畑仕事に精を出し、母は一家を支えるために朝早くから夜遅くまで働く、どんなに苦しくても辛くても決して弱音をはかない明るい性格の母は、仕事に追いまくられながらも、子供に夢と希望を持たせてくれ、父がいなくても強い精神力と優しい心を教えてくれました。そんなころ、毎年クリスマスになると、大きなケーキと、プレゼントが届くのを楽しみに待っていたものでした。 その、贈り主は、父が交通事故に遭せてしまった人からだと知ったのは、何年もたってからでした。自分も瀕死の重傷を負いながらこんな形でずっと見守って下さっていたとは・・・。人を思いやる優しい気持ちに心から感謝しました。父や母の友人、近所の方々も温かく見守って下さったからこそ、明るい気持ちで生きてこれたのだと思います。 いかがですか?人の優しさ、思いやりが沢山詰まった作品ですよね。 この、作品に付随して、一つの詩を載せます。 【行為の意味】 あなたの「こころ」は、どんな形ですか?と、人に聞かれても答えようがない 自分にも他人にも「こころ」は見えない けれど、本当に見えないのだろうか? 確かに、「こころ」は、誰にも見えない。けれど、「こころ遣い」はみえるのだ。それは、 人に対する積極的な行為だから。 同じ様に、胸の中の「思い」は見えない、けれど、思いやりは誰でも見える。 それも人に対する積極的な行為なのだから。 温かい心が温かい行為になり、優しい思いが優しい行為になる時、「心」も「思い」も初めて美しく生きるーーーーそれは、人が人として生きることだ。 ある地域の標語『にこやかに、目をかけ、手をかけ、心かけ、』子供と向き合う全ての大人はこの、標語のように子供と関わり、心遣いも優しい行為も、自らが粛々と行い、しっかり子供達に見本をみせていきたいですね。その、積み重ねが子供の心を豊かに育み、目に見える心遣いとなり、思いやりとなり、温かい行為、優しい行為になるのですね。 優しい子に育てたい‼と、誰でも親は願います、それには親である私達が相手を思いやり、優しくする行為こそ、親の背を見て育つ子供達が真似ていくものだと思います。 子は親の鏡です。自分の言動に責任を持ち、大切に育てていきましょう。 長文、読んで頂きありがとうございました。 教頭 市村恵美子