絆 2019/07/08 2019年7月8日(月) 7月になっても鬱陶しい天気が続いていますね。人間はよくばりで、雨は大切だと思っていてもやっぱり晴れて欲しい!!と、思ったり、晴れたら晴れたで「暑い」と思ってみたり、でも、日本の様に四季があるのは、それぞれの季節に風情がありいいですね。 さて、本当なら今日は、ゆり組の大木寛子先生がブログ担当の日でした。しかし、7月1日に大切なお父様が急逝され、土曜日曜で、通夜、告別式と続き今も忌引きでお休みしていますので、私が代わりに書かせていただきました。ゆり組の一学期の様子は後日改めて寛子先生より発信してもらいますので、楽しみにしていて下さいね。 寛子先生のお父様のことから、今日は、親の死について綴らせて下さい。 さて、皆様はご両親が元気でいらっしゃいますか? 私は、8年前の6月丁度こんなジメジメした天気の時に父親を亡くしました。親がいつかは亡くなるのは当たり前のこと、頭ではわかっていましたが、実際にそうなった時、これほどの悲しみがあるのだろうか、周りの景色が一気に色を失い、不安や心細さ、何とも言えない淋しさが体中を包み、悲しみが滓の様に溜まり、日々少しずつ薄くはなりましたが決して消えることはなく、やはり親という存在はいくつになっても偉大なものだと改めて感じています。 父親が亡くなった時、私は何故かふと、山王幼稚園の園庭の真ん中にある大きな銀杏の木が浮かびました。1年中子供達を見守り、夏は木陰を作り、雨が降ると沢山のイチョウの葉で雨から守り、冬も、葉を落とし枝しかない状態でやっぱり園庭の真ん中で子供達を見つめてくれている様子に、父親と重なり、亡くなった時、その大きな銀杏の木が静かにゆっくり倒れてしまった様な大きな喪失感と、空虚感を感じたのです。銀杏の木がまるで父の様に思っていたのかもしれません。また、父親という大きな傘の中で雨・風を凌ぎ、暑さ・寒さから守ってもらえ、安心して生きてきた自分の人生、結婚し、家庭を持ち、子供が産まれても、やっぱり親というのは何時もいつも守ってくれる存在。日にち薬とはいいますがなかなか悲しみから逃れられません。 それでも、私は幼稚園に来ると、あどけない子供達の屈託のない可愛い笑顔や、パワーで幼稚園にいる間は全ての苦しみ、辛さ、悲しみ、淋しさを払拭してもらえました。子供達には不思議な力がありますね。ありがたかったです。寛子先生もきっと幼稚園に戻ってきたら子供達の笑顔に包まれて元気をもらえるとおもいます。ゆり組のご父兄の皆さんご心配をおかけしますが、寛子先生はもう少しお休みします。待っていてくださいね。こんな時でも幼稚園のこと、ゆり組のことを心配しています。 彼女らしいと心が温かくなります。。 親に愛されたことは記憶に残っていて、亡くなってもその記憶が宝物になっていく、、、、、、、。そんな言葉を聞いたことがあります。千の風になっての歌の様に目に見えなくてもいつでもそばにいる。風になったり、光になったり、冬は煌めく雪になったりして、ずっと見守ってくれる。大切な人を失っても心の琴線は繋がっていて親子の絆は永遠に途切れない! 皆様もご両親、家族に出会えた事一緒に過ごした時間、教えて貰った事、重ねてきた時間、これからもかさねていく時間に感謝して大事にして下さい。寛子先生、今はきっと涙しか出てこない悲しみの中にいるとおもいますが、悲しみの涙はいつの日かきっと誰かを包む優しさになれるとおもいます。 寛子先生のお父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。 皆様も子供達にとっては大切な親です。子供達の成長をずっと見守って頂ける様にいつまでも元気でいてくださいね。 親と子供の絆、私達職員とご父兄の皆様との絆、子供達と私達職員の絆に感謝して、今日の拙いブログを閉じます。長い文章を最後までお読みいただきありがとうございました。 教頭 市村恵美子