【鬼滅の刃】にみる親孝行 2021/10/13 令和3年10月13日(水) 先週9日に行われた本園運動会もコロナ禍ということで分散開催を余儀なくされましたが大過なく終えることが出来ました。偏に保護者の皆様のご理解とご協力の賜物と感謝いたします。 さて、その運動会では園児全員が、大好きなお家の人特にお母さんお父さんに、自分が頑張った成果をしっかりと見ていただき、そして、その頑張りを認めてもらうことに、喜びや嬉しい気持ち、さらには誇りや自己肯定感をも感じています。 子どもが良いことをして親に認めてもらう事に喜びを感じるのは古今東西どの子どもにも共通するものです。逆に、親もまた自分の子どもが良いことの為に頑張っている姿を誇りに思うのです。 私にとって暫くぶりとなる今回のブログでは、そんな親と子の思いについて、今流行りの「鬼滅の刃・無限列車編」の中心人物煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)とまだ幼かった頃に亡くなった母との会話から見てみたいと思います。 このアニメを知らない方のために作品の内容を少しだけ説明します。 時は大正時代の初め、鬼に最愛の母と弟妹を殺され、唯一生き残った妹も鬼に変貌してしまった主人公の竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が、鬼になってしまった妹を人間に戻す為に、鬼を討つ目的で特別に組織された「鬼殺隊」の隊士になり、厳しい訓練に耐え、努力を重ねながら次々に出現する不死身とも言える鬼を退治していく話です。 話の展開上、鬼と戦うシーンが多く、その際、どうしても残酷と思える場面が数多く出てきます。このような理由でアニメの放映当初は、子どもに見せるのは良くないといった声が少なからずあったようです。しかし時間が経つにつれそのような声は段々少なくなってきたように思います。私はその理由は、この一見残虐なシーンの多いアニメに一貫して流れている、主人公や中心人物が持つ強い正義感と優しさにあふれた思いや考え方にあるのだと思います。具体的には「無闇に人を傷つけてはいけないという正義感」「他人に対して共感や思いやりで接する優しさ」「親を初めとしてお世話になった人に対する孝行や感謝の気持ち」などです。これらは本来人として当然持つべき大切なものであるにも拘らず、現在の社会では失われてしまったのではないかと思うほど希薄になってしまっている【こころ】そのものです。そして、その【こころ】の物語がこのアニメには随所に見られるのです。 【こころ】の大切さについては、本園でも園児に折に触れ話し、聞かせています。また、それらをまとめて「山王幼稚園五訓」や「善悪の区別」を額にしてホールの舞台袖に掲げてもいます。今回のブログに登場する煉獄杏寿郎の生き方には本園の五訓や善悪の区別の言葉に共通する【こころ】が息づいているように思うのです。 鬼殺隊の中でも特別に強く9人しかいない「柱」と呼ばれるリーダーの一人である杏寿郎は無限列車編の最終盤で、ほとんど不死身である最強の鬼と戦い傷を負いながらも戦い続けます。そんな杏寿郎に対して鬼は「お前も自分と同じ鬼になって不死身の体を手に入れろ」と何度も誘惑します。が、杏寿郎は断固としてその誘いに応じません。そして遂に杏寿郎に致命傷を与えた鬼の「お前は選ばれし強き者なのだ」だからこそ鬼になれ、という最後の誘いの言葉に、突然幼き日の母との会話を思い出します。以下にその場面を載せます。 生まれついての人並外れた強い体の持ち主であり、小さい頃から「柱」であった父について剣の稽古をしていたある日、そんなまだ幼さの残る杏寿郎を母は病床に呼びます。 母:「杏寿郎」 杏:「はい母上」 母:「よく考えるのです。母が今から聞くことを。なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか?・・・・」 杏:「うっ・わかりません!」 母:「弱き人を助けるためです。生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者はその力を世のため人のために使わねばなりません。天から賜りし力です。人を傷つけること、私腹を肥やすことは許されません。弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任をもって果たさなければならない使命なのです。決して忘れることなきように」これに対して杏寿郎は、力強く「はい‼」と答えます。その答えに母は杏寿郎を抱きしめ涙を浮かべながら安心したように静かに言います。「私はもう長く生きられません。強く優しい子の母になれて幸せでした。あとは頼みます」 戦いの最中で我に返った杏寿郎は心の中で「母上、俺の方こそ貴女のような人に産んでもらえて光栄だった」と答えます。そして最後の力を振り絞り鬼にさらに立ち向かいます。そして遂に鬼を撃退し、無限列車内の人質二百人から一人も死者を出さずに守り切るのです。 鬼との戦いで深く傷つき死期が迫る中、杏寿郎は不意に母の幻影を見て驚きます。 そして問います。 杏:「あっ!母上・・・ 俺はちゃんとやれただろうか?やるべき事、果たすべき事を全う出来ましたか?」 幻影の母は微笑んでうなずき、 母:「立派に出来ましたよ」と答えます。その母の微笑と言葉に杏寿郎はお母さんに褒められた子どものように安心し、嬉しそうにほほ笑むのでした。 当たり前のことですが、人は誰でも一人で生まれ育つのではありません。必ず誰かの世話や支えがあって今の自分があるのです。そのお世話や支えを一番してくれたのが普通は親です。その意味でも五訓では「お父さんお母さんを大切にします」と掲げてます。その中でも私は、お母さんのお世話が断然大きいと思っています。お父さんは支え役です。 人はこのように両親をはじめその他いろいろな人から何らかのお世話を受けて大きくなっていくのです。しかし大きくなるにしたがい、自分は自分一人で成長し今があるのだと思いがちです。かく言う私自身もその誹りをまぬかれません。大いに自省しています。 さて、親として自分の子どもの健やかな成長や人として立派になることを願わぬ人はだれ一人いないと思います。また、子どもとしては、そのような人になって親を喜ばせたい・安心させたいという気持ちを心の奥には誰もが持っていると思います。そんな親子の気持ちを体現しているのがこの杏寿郎と母の会話にあるように感じとりあげました。 このように書くと、これはあくでもアニメの作り事の世界でのことにすぎないと思われる方がいらっしゃるかもしれません。そのような方には私が親子関係の一つの理想がここにはある、と感じたある親から子へ宛てた書簡をご紹介して今回のブログの締めにしたいと思います。 書簡の主は小泉信三(明治21年~昭和41年)。幼少期に慶應義塾創始者の福沢諭吉にかわいがられ、慶應義塾に学び、やがて教授そして慶應義塾塾長になった人で、現上皇の教育係を務め美智子皇太后とのご結婚を実現させた影の功労者としても有名です。 小泉信三には長男の小泉信吉(大正7年~昭和17年)と娘二人がいました。 信吉は父と同じく慶応義塾大学に学び三菱銀行に就職しますが入行わずか4カ月であこがれていた海軍の任用試験を受け、主計中尉として海軍の軍人となります。時に昭和16年8月、太平洋戦争の始まる4カ月前です。そして12月8日に日米は開戦。信吉は軍艦「那智」に乗艦して戦地に向かいます。そしてこの時、父信三は信吉に心残りなく勤めを全うさせたいと、手紙を書きます。信吉の戦死の報が届く一年程前です。その手紙こそが私に、親にこれほどの事を言わせる子ほどの親孝行はないと思わせるのです。以下にその手紙を引用します。 君の出征に臨んで言って置く。 吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。僕はもし生まれ変わって妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、もしもわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽くしたいと思っているかも知れないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年の間におよそ人の親として受け得る限りの幸福は既に受けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。今日特にこのことを君に言って置く。 今、国の存亡を賭して戦う日は来た。君が子供の時からあこがれた帝国海軍の軍人としてこの戦争に参加するのは満足であろう。二十四年という年月は長くはないが、君の今日までの生活は、如何なる人にも恥しくない、悔ゆるところなき立派な生活である。お母様のこと、加代、妙のことは必ず僕が引き受けた。お祖父様の孫らしく、又吾々夫婦の息子らしく、闘うことを期待する 父より 信吉君 以上長々と駄文をお読みいただき有難うございます。 本園ではこのような【こころ】を大切にした教育保育をこれからも続けていく所存です。 今後とも変わらぬご理解とご協力を宜しくお願いいたします。 理事長 小山直久